100日間にわたって、骨髄提供の体験談を綴ってきましたが
【骨髄提供を終えて】は今回で最終回です。
骨髄提供の体験をそのときのことを思い出しながら、
そのときの気持ちを正直に語ってきました。
それは、ときに生々しく、ときに馬鹿みたいだったかもしれません。
はじめは、どこから書いていいかわからず、順不同になっていました。
それを、まとめるのは今後の課題です。
さて、骨髄提供手術のあと、2~3週間後に術後健診を受けてから
その日までの交通費を請求します。
暑い夏の日、適合通知がきてから続いていた長い一連のミッションは、
交通費の請求で終わりです。
術後健診は、お正月明けでした。そのため、病院の込み具合が
ハンパなかったです。10時の予約なのに、検査が100人待ち。
自分の番号札の番号と検査の待合室に入れる番号を見て驚愕しました。
大きな病院なのでしかたないですね。
終わったのが1時間後。そこからまた、結果待ち。
検査は、血液検査と尿検査です。
どちらも、問題なく、病院を訪れるのはこの日が最後になりました。
3月のある日、書留だったかなんだか忘れたのですが、
留守中に何かが骨髄バンクから届きました。
郵便受けに入れられないものだったので、
再配達してもらいました。
ついに、患者さんから手紙が?
手紙は1年間で2回までやりとりできることになっています。
患者さん、骨髄移植を急いでいるという状況での移植だったので、
その後のことが心配でした。
届いたものはこれでした。
患者さんからの手紙じゃなかったのは、ちょっと残念でした。
感謝状、うーん、複雑。そんなにすごいことしてないのに。
約1週間後、骨髄バンクから封書が届きました。
今度こそ、患者さんからの手紙?
違いました。アンケートでした・・・
アンケートには、患者さんからの手紙はほしいですか?
という質問がありました。
元気になりましたという手紙なら欲しいですけど、
まだ闘病中なら欲しくないというのが正直な気持ち。
また適合通知がきたらやりますか?
というような内容の質問もありました。
やりたいです。
できる状況であれば。
スケジュールがあえば。
はじめから、読むならここから。
ー追記ー
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