6年生が卒業した。 校庭に保護者が並び始めたのが見えた私は、靴を履きかえ外に出た。
去年までは、在校生も卒業式には参加していたが、今年は新型コロナウィルス対策で在校生も来賓もなし。
体育館での式のあと、例年は6年生の保護者と在校生は先に校庭に出て二列に並び、6年生が通る道を作り待つが、今年は在校生はいない。
卒業生は、保護者や在校生に祝福されながら、そのあいだを通ってから、保護者と合流し先生たちと写真を撮って帰るのだ。
私たち学童スタッフは、遠くからその様子を見守って、6年生との最後のお別れになる。言葉をかわす時間はない。
Aちゃんはとてつもなく意地悪な性格で、大人に対しての態度もなってなくて、下級生をいじめ、意地悪をし、嘘をつく、そんな性格だった。
B君はこれまた口が悪いのに加えて、いじめまがいの暴力もふるい、スタッフには暴言をはく。特に下級生や体の小さい者に対しては容赦ない。これの母親が保育士なんて、母親は人の子供の面倒を見る前に、自分の子供をしっかり育てろと思ったものだ。
自分の子供が他の子供にどれだけ迷惑をかけているか。他の子に悪さをすれば、スタッフは見てなかったんですかとクレームまがいの事を言う。
教師の子供や警察官の子供がグレるということも往々にしてあるので、子供というのは親がどれだけ真面目でもグレる時はグレるし、親がどれだけちゃらんぽらんでも まっとうに真面目に賢く育っている子供もいる。
躾って何なんだろうと思う。子供にも当たり外れがあるし、子供にとって親にも当たり外れがある。
そんな悪ガキだからこそ、親は学童によこしてくる。自由にさせていると何をしでかすかわからないからだろう。本人たちは学童に行きたくないから余計にストレスがかかり、下級生をいじめたりする。学童に来ても同学年の子はほどんどいなかったので、かわいそうといえば、かわいそうだった。
そんな子たちも6年生になると学童には来なくなった。それなりに立場をわきまえられるようになったのだろう。しらんけど。
川崎市がやっている学童は無料で登録すれば無料で使える。参加カードを持ってきさえすれば、いつでも利用できる。だからこそ、お別れはいつでも突然だ。
まるで、毎日読んでいたブログが突然なくなるように、突然来なくなる。手続きはいらない。だから、卒業式の日に姿を見ておきたいと思ったりする。
悪童じゃない子も当然いるが、印象に残っているのは悪童だ。まったくかわいくなかったけど、卒業か・・・と思ったらなぜだか涙が流れていた。よくわかんないけど、感無量になってしまった。
それは、私が子育て経験があるからで、息子と娘の卒業のころの感情が蘇ったからだと思う。
年をとったら涙もろくなる・・・
人生経験による共感力が涙を誘引するのだそうだ
「チコちゃんに叱られる」でやってた!と思い出した
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