痒みと戦って安楽死について考えた
今回の蕁麻疹騒ぎ、 多形紅斑というもので、抜歯したところから細菌かウィルスに感染して免疫機能に異常をきたした可能性が高いみたいです。熱が出なかったのが不思議です。
紅斑が現れたのは、手のひら、足の裏までと範囲がとても広く、とても痒くて気が散ってテレビを見るとかもできない、起きていても何も手につかないし、ただ薬飲んで眠ってしまいたい、無になりたいという状態でした。
痒みに耐えられたのは「掻くことができたから」ということが大きいです。もちろん掻かないように 保冷剤で冷やしたり 薬を塗ったり はしました。
もしこれが 寝たきりの状態だったら、「痒い」と簡単に言葉も発せられない状態だったら、 「足痒い浅香唯」 なんてあほなことも言えず痒みに耐えなければならなかったのです。痒みはストレスです。顔の筋肉さえ動かすことができなかったら、伝えることもできず、掻いてもらうこともできません。ちょっと背中が痒いだけで、孫の手孫の手と大慌てなのに、孫の手が見つからなかったら発狂しそうです。
痒みだけではありません。それが、強い痛みだったらどうなるのでしょう。余命いくばくもなく、死ぬまで痛みに耐えなければならなかったら・・・どうせ数時間で死ぬなら殺してくださいとお願いするかもしれません。お願いできる状態ならば。
ALS患者が 医師に安楽死を お願いした嘱託殺人事件のことを思い出しました。
京都ALS嘱託殺人が過去の事件と“まるで別物”と批判される理由(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
この事件が、嘱託殺人事件 として扱われたのは、SNSで知り合った医師にお金でもって依頼しているという理由からです。
安楽死が医師のお小遣い稼ぎになってしまうなんてことあってはならないことです。ですから、安楽死は法律で認めるわけにはいかない。どんなに患者が望もうと、安楽死は認めるわけにいかない。なぜなら、死んでしまったら口がきけないので、真相はわからないから。死にそうになって苦しんでいるときに、やっぱり死にたくないと意思表示ができるかどうかわかりません。人間が人間の生き死にを決めるのは、人間にはまだ早いと思いました。まして、自分で自分の人生を終わらすなんてことあってはならない。
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