義父(夫の父)が亡くなって、15年半がたちました。
肺がんで亡くなりました。
娘が3歳のときでした。
このキティちゃんのキッチンは、娘が3歳のとき、義父からクリスマスプレゼントとして贈られました。息子には特捜戦隊デカレンジャーのブレスロットルというデカブレイク(白の人)の変身道具でした。(私はデカレンジャーがものすごーく好きです)
孫にプレゼントを自ら選んで贈る――義父にとっては初めてのことでした。
パソコン使いであった義父が、5人いた孫にそれぞれ欲しい物を聞き、トイザらスのオンラインショップで注文して自宅に直送してくれたのです。トイザらスオリジナル商品です。
クリスマスから10日後、1月4日、私たち家族が帰省中、腰の激痛に見舞われ救急車で病院に行き、そのまま入院しました。まもなく腰の激痛は肺がんが転移したものだとわかり、退院することなく2月20日に亡くなりました。
11月頃から腰が痛いと言っていたそうです。
でも、1月3日までは元気に過ごしていました。
義母は、義父のことを難しい人だったとよくいいます。
息子である夫も義父によくにてるといいます。
夫は異常なぐらいの心配性です。
義父も心配性だったのでしょう。
義父は、地方に配属された息子のことを心配しすぎたのか、結婚式のお金を全部出して、就職したばかりで貯金もない夫と私を結婚させました。できちゃった婚ではないです。
お金持ちだったわけではありません。
夫が私にふられないうちに結婚させてしまおうと思ったのでしょうか。
長女を嫁に出したさみしさから、早く息子に嫁が欲しいとでも思ったのでしょうか。
長男もまだ結婚せずに実家暮らしだったのに、夫と私は結婚しました。
義父が夫に「早く結婚しろ」と言わなかったら結婚していなかったかもしれません。
夫が地方に赴任していたので、私は夫の父母といっしょに結婚式の打ち合わせをし、婚約指輪を買いに行ったり、ウェディングドレスを選びに行きました。ほとんど、夫不在で結納から結婚式までを父母と決めました。
何度かリサイクルショップにもっていこうとしたことがありますが、もっていけませんでした。娘にとって、おじいちゃんからの最初で最後の贈り物です。
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