言い訳を用意して生きるな
もう何十年も経つのに、未だに覚えていることがあります。
私は高校生でした。ある日、三者面談がありました。
私がなにかやらかしたわけではありません。
私は非常に真面目な高校生でした。学校はほとんど休まず、ほとんど遅刻せずに行っていました。自転車通学でした。遅刻ギリギリでしたが、だいたい間に合っていましたし、学校指定以外のコートはちゃんと学校に着く直前で脱いで小さくしてダサい紙袋がビニール袋に入れました。鞄も指定以外のを持って行ってはいけなかったから、鞄といえない紙袋とかビニール袋に入れたのです。そうすれば、校門を通過することができたのです。
一回遅刻したことがあります。雨の日でした。田舎には柵のない水路があって、いつも傍を通るとき注意していたのですが、ある雨の日、通りかかると見知らぬ女子高生が自転車ごと落ちていました。私はそれを助けました。そこで時間をロスしてしまい、遅刻となってしまいました。しかし、私は水路に落ちていた人を助けたから遅刻したと先生に言いませんでした。ギリギリに家を出た自分も悪いのです。助けるのに数分かかっていますが、そんな余裕のない行動をしていたから遅刻してもしかたありません。
話はもとに戻りまして、先生と私と母親での三者面談がありました。
直前のテストの結果が出ていました。テストの結果は芳しくないものでした。
テスト期間中私は風邪をひいていました。でも、風邪のせいで勉強がおろそかになっていたとは思っていませんでした。勉強を頑張っていたかどうかわかりません。結果がすべてでしたから、点数が下がったのはすべて自分のせいです。風邪をひいたのも自分の健康管理が悪いのですから自分のせいです。
点数が下がっていることに対して母は、先生に「風邪をひいていたから」といいました。私はそのことをなぜか今でも覚えているのです。母はフォローしたつもりだったかもしれない。でも、私は母が言い訳したように聞こえました。
私は思いました。母さん、テストの点数が悪いのは風邪のせいじゃない、ちゃんと勉強しなかったからだ・・・と。
思えばそのころから、私は失敗を何かのせいにするのが嫌いでした。そして、すぐ何かのせいにする人も。原因はすべて自分にある。悪く言えばひらきなおり。
私はけん玉動画をYouTubeにのせていますが、いい大人がけん玉を練習しているのも、仕事のためです。けん玉が好きで練習しているわけではありません。職場で子供たちと一緒に練習してもなかなか上手くなりませんでした。
そこで、家でも練習するために自分のけん玉を買いました。
「家にけん玉がないから練習できない、だから上手くならない」という言い訳をつぶすためです。
最初は、もしかめなんて全くできませんでした。できないのは練習が足りないからです。もしかめは一日練習したぐらいではできません。毎日ちょっとずつの練習で10回、20回できるようになり、3年かけて50回ぐらいできるようになったのです。
最近の子供はすぐ、できない言い訳をします。堂々と言い訳をするのです。眠いからできなかった。忘れてたからできなかった。やったつもり。工夫をせずに努力せずに、できなかったことの言い訳を探すのです。
時間は有限です。過ぎ去った時間は返ってきません。計画を立ててください。今やるべきことを把握しなさい。ゴールを決めなさい。経由地を決めなさい。
このような育て方をした親も悪いと思います。すべては私のせいなのです。
もしかしたら、計画が立てられないというのは、もってうまれた特徴なのかもしれません。
私は、計画を綿密に具体的に立て、軌道修正を繰り返しながら実行しようとするので、計画をたてられない人間が理解できないのかもしれません。
私は、計画を立てるものは徹底的に立て、どうでもいいものは徹底して立てません。
もしかしたら、息子、娘にとって自分の人生というものが、どうでもいいものなのかもしれません。
18歳や20歳で、自分の進路について真剣になれないのは、親として本当に情けないです。それでも、健康に生きているだけでうれしいと思ってきました。
しかし、親がいなくなったら、一人で生きていかなければなりません。
幸せに生きていけるかどうか、それは自分しだい。
だれかのせいにするな。
言い訳を用意して生きるな!
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