ドナー登録したこと、適合通知がきたこと、ドナーに選ばれたこと…離れて暮らす両親にはその都度電話で伝えました。
「骨髄提供するかも…」
父の反応は「ふーん、そうけ。大丈夫かいな」
「うん。大丈夫。じゃ、母さんにも伝えといて。バイバイ」
母が留守だったので父に伝えました。
大丈夫というのは、入院中家事大丈夫か? 提供できるほど健康なのか? ということです。
実家の近くには、妹たち家族が住んでいて、妹の旦那さんは、白血病を患っていて闘病中でした。ドナーを探していたのですが、コーディネートはうまくいきませんでした。「なんで登録してるのに、提供できないんだろう」母はそんなことをぼやいていました。見つからなければ、次はさい帯血移植…という話もありました。
そんな時でしたので、反対なんて誰もできません。いままで、善意ある知らない誰かに助けを求めていたのですから。
患者さんのほうは、適合者が見つかってひとまず喜んでいるはずです。コーディネートがうまくいかずドナーが決まらなければ、天国から地獄におとされます。妹家族の大変な生活を知っているからこそ、断るわけにはいきません。患者さんにも、家族がいるだろうし、本人と家族の悲しみ、ドナー候補者が見つかった喜びが想像できました。
患者さんにとって、ドナー登録者は神様。提供までしてくれる人は神以上の存在。本当に、困っている人を助けたいと思ってドナー登録する人は、すごいと思います。そして、提供までしたひとはマジ神。
でも、私は神ではありません。なぜなら下心がありましたから。私が誰かのために骨髄を提供できたら、義弟の白血病が治るかもしれない。世の中助け合い。だから、私が誰かを助けられたら、誰かが義弟を助けてくれる。
ねぇ、神様、それぐらいの見返り、くれるよね?
神様の返事は、義弟の退院でした。ドナーはみつかりませんでしたが、抗がん剤治療が功を奏して快方にむかったのです。