【いよいよ骨髄提供へ】(8)入院2日目(手術日) その3 - hoozukireiko’s 骨髄blog
の続きです。
意識が戻ってきた午後2時から3時ぐらいの間だったと思います。執刀医の先生が、病室にこられました。
私の骨髄は、ろ過され必要な成分になってから、手術中から待機していた移植先病院の関係者が持って羽田空港に向かったとのことでした。
骨髄を取るときに、腸骨(骨盤骨)に注射針で穴をあけるので、骨粉が混ざるそうです。
骨髄採取は、ボールペンの芯ぐらいの太さの針の注射器でドクターが手作業で10ミリリットルずつ吸引します。予定では左右3か所、合計6か所の穴から各20回、120回の吸引で合計1200ミリリットルの上限以内で採取ということでした。
しかし、終わってみると、6か所を覚悟していた傷は2か所。
吸引も100回ぐらいで済んだということでした。
非常にいい骨髄液だったそうです。血液がサラサラだったみたいです。
毎朝、豆乳飲んで、毎日、サラダを食べています。夜には酢も飲んでます。
ペイントを使って初めて絵をかいてみました。
横から見た図です。
イメージできますでしょうか?
皮膚の入り口は1か所でも骨には斜めに入れていきます。
へたくそですみません。
ドクターたちが交代で骨髄を吸引します。
ドクターたちが頑張った・・・と執刀医の先生はおっしゃっていました。
チームワークよく次々と交代で採取したのです。
手の感覚だけでやるのですから、医者ってすごいですよね。
腸骨は注射針で、ぐりぐりと穴をあけるので、針が折れることがあるそうです。そうなると、皮膚を切開して取り出すという手術にが必要になります。
(骨髄バンクによる1993年1月~2016年3月末までの集計データでは0.2%)これは、いくらドクターが熟練していても起こってしまうことがあるという説明でしたが、私の手術では起こりませんでした。よかったです。
先生の診察がありました。
傷跡も問題なく、止血のための固い綿の塊から大きい絆創膏に貼りかえられました。そのとき患部がすごく熱く感じていたので、訴えました。
そのときは痛いより熱いが勝っていたように思います。熱いカイロがくっついていて低温やけどしそうな熱さでした。触っても全然熱くはなかったです。
唇もしびれて腫れていました。歯医者で麻酔した後みたいに感覚がありませんでした。
麻酔中の器具がへんにあたっていたみたいで、少し傷がありました。
口内炎みたいになりましたが、日を追うごとに良くなっていきました。
術後1週間で完全に治りました。
診察中に、かねてから「麻酔が覚めるころに伺います」と言っていたコーディネーターさんが来られました。コーディネーターさんは少し病室の外でまってもらいました。
診察が終わると、今度はコーディネーターさんとの面談で体調などを報告しました。
コーディネーターさんについて詳しくはこちら
前の日に、荷物が重すぎるので、本はご主人に持って帰ってもらってくださいとメールをくれていたのですが、私は既読スルーして返信しませんでした。
そしたら、コーディネーターさんは直接夫に本を持って帰るように言っていました。
実際はそんなにたくさん本は持って行っていません。私が小説を書いて賞をもらって授賞式に行ったことや、有名な作家の先生に講評いただいてすごくためになる授賞式だったこととか、作家の先生が素敵だったことを、検査のときに話していたので、(これは過密スケジュールで体調不良のいいわけでもあったのですが)、ものすごい読書家で、本をたくさんもってきたと勘違いしたのです。その賞はローカルな賞なのですぐ作家になれる賞ではありません。賞金もわずかです。しかし、ある地方の新聞に全文掲載されたので、コーディネーターさんは探して読んでくれたと言っていたような気がします。入院のとき再びその話題になっていたので。
次は退院の日に来ますといってコーディネーターさんは帰っていきました。